絶対に眠くならない日本史

〜短編諸説〜

1185年 源頼朝が鎌倉幕府を開く

      2016/05/22

調子に乗り過ぎた弟・義経を捕える
-源頼朝(45)-


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鎌倉幕府って?

朝廷から独立した初めての武家政権のこと。(平氏政権では朝廷と共存していた。)1192年に源頼朝が征夷大将軍*になる前から、実質的に支配をしていた。中央に侍所・政所(まんどころ)・公文所(くもんじょ)・問注所*の諸機関を設け、全国各地に守護・地頭*を置き封建制国家を確立した。

要は源頼朝という武士が、政治の実権を握ったということ。

INTERVIEW


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―幕府を開いたとき初めに何をやりましたか?

源頼朝(以下頼朝)
「全国に守護、地頭を置きました。理由は全国各地に武官を配置して、本格的に武力で支配を強めるためです。 きっかけとなったのは、調子に乗り過ぎた源義経を捕まえるってことだったんですよ(苦笑)」

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―源義経さんは壇ノ浦の戦い*で平氏を倒すなど、大きな貢献があったと思うんですが

頼朝
「私が考えていた『武家政権を樹立する』という真の狙いを、義経がなかなか理解してくれなかったので信頼できなくて。具体的には平家を滅ぼした時に、義経は三種の神器*を奪還し損なうわ、朝廷から勝手に官位をもらうわで・・・。挙句の果てには憎き平氏の娘を、嫁にしましたからね(笑)」

―実の弟だからという温情はなかったんですか?

頼朝
「全くなかったですね。 義経は、少年時代を過ごした奥州平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)*のもとに逃げたんです。最後は秀衡の子の藤原泰衡(やすひら)*の裏切りにあって自害しました。戦争の天才ではあったんですけどね。もったいないっちゃもったいない」

―鎌倉幕府を成立したのは1192年ではなく1185年ですか?

頼朝
「そうです。よく間違われるんですよ。〈いい国(1192)作ろう鎌倉幕府〉ではないですよ、もうなんなんですか(笑)〈いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府〉で覚えてくださいよ。私が征夷大将軍になった1192年より以前の1185年に守護・地頭を置いて、基盤作ってましたから」

―将軍を支えたのは北条氏ですか?

頼朝
「そうですね、初代執権の北条時政*はうちの嫁の父なんです。まあ細かいしうるさいんですよあいつ(笑)この執権というポジションがうちのウリの一つです。なかなかやるなぁて他人事のように思います(笑)」

―『執権』とはどういったポジションなんですか?

頼朝
「今までは将軍独裁の政治だったでしょ。それはもうやめて、御家人たちが話し合いで物事を決める政治をやろうと。そのまとめ役の座長が執権というポジションです」

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―『封建制度の御恩と奉公』は誰が考えたんですか?

頼朝
「これは僕ですね。家来である御家人にちゃんと報酬を与えたいなと思って。『簡単に言うと将軍が土地をあげるから、御家人たちは頑張って働いてね』ってことです。長続きしてほしいです」

―ヨーロッパの『封建制度』をヒントにしたんですか?

頼朝
「ないですね。たまたまです。ヨーロッパでは誰に仕えるかを仕える側が選択できるみたいですね。生まれた時から仕える人が決まってる日本の方が、わかりやすくて良くないですか?」

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―武士による政治を快く思っていない世論もあります

頼朝
「後鳥羽上皇*ですよね。政治の実権が移ってしまったのが悔しがってるというのを聞きます。もう、朝廷主導で好き勝手にやらせたくないです。やっちゃダメなんです」

―なるほど

頼朝
「もし朝廷が鎌倉幕府を倒すぞって攻めて来ても、勝つ自信ありますよ。御家人達を信頼してますから。それが御恩と奉公の真骨頂ですよ」

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―今日頼朝さんにお会いして、見ていた絵(上の画像参照)とは違うのでびっくりしました

頼朝
「これもよく間違えられるんですよ。実物はもっとイケメンでしょ(笑)?誰が言いだしたのかわかりませんがこれ、足利直義(あしかがただよし)*さんですからね。私に会った人は声揃えて言うんですよ。パネマジじゃないですかーって(笑)」

―改めて正しい絵を掲載させてもらいます(笑)

頼朝
「すみません。絵はお断りしてるんですよ。こういう時代だからとか関係なく、絵苦手なんです。だから絵を掲載しないっていう約束で取材を受けてるんです・・・」

―最後に一言お願いします

頼朝
「私は以前伊豆の蛭ヶ小島に島流しされて、ドン底を味わいました。だけどそこで妻・北条政子*に出会ったんです。初めは北条時政(義父)に反対され駆け落ちしましたけど、段々気に入ってもらえて・・・。人生ダメなときほど良いことがありますから。腐らずに頑張ることが大事だと思います」



征夷大将軍*
蝦夷 (えぞ) 征伐のため臨時に編成された征討軍の総大将。後世では蝦夷征伐とは関係なく、兵権を握って天下の政務を執行する武人出身者にこの称号が与えられた。

侍所・政所(まんどころ)・公文所(くもんじょ)・問注所*
侍所・・・御家人の統率、軍事や警察の役割を果たす
政所・・・一般政務を担当
公文所・・・公文(公文書)の管理が行われた組織
文書管理のみならず指揮命令・訴訟・財政収取などの実務機関としても運用された
問注所・・・訴訟や裁判の担当

守護・地頭*
守護・・・国ごとの責任者。国内の治安維持が仕事
地頭・・・土地の管理人。年貢(ねんぐ)を集める仕事

源義経*
平治元年(1159)源義朝の九男として生まれる。幼名は牛若丸。源頼朝の異母弟。数々の名采配、勇気あふれる戦いぶりなど戦の天才として知られる。

壇ノ浦の戦い*
1185年に源義経率いる鎌倉軍が平家を滅亡させた戦い。これにより平家による政権は終焉し、源頼朝を中心とする政権(鎌倉幕府)が成立した。

三種の神器*
日本神話において天孫降臨の時に、天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。

藤原秀衡*
平安時代末期の武将。奥州藤原氏第3代当主。

藤原泰衡*
奥州藤原氏第4代の当主。藤原秀衡の嫡男。

北条時政*
伊豆国の在地豪族の北条時方の子。源頼朝の正室・北条政子の父。鎌倉幕府の初代執権。

後鳥羽上皇*
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第82代天皇。

足利直義(あしかがただよし)*
室町幕府初代将軍、足利尊氏の同母弟。

北条政子*
鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。北条時政の長女。

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