絶対に眠くならない日本史

〜短編諸説〜

607年 小野妹子を隋に送る<遣隋使>

      2016/05/29

命がけの航海
-小野妹子-


出典:http://goo.gl/kP89kp

遣隋使って?

推古天皇*が治めていた時代、隋に派遣した使節のこと。
遣隋使の目的としては、主に3つあった。
①隋と同じ立場で外交をすることで、朝鮮半島での日本の優勢を確立する
②隋の皇帝が天皇を認めることで、天皇が蘇我氏の上にいることを豪族たちに認めさせる
③隋の進んだ政治制度や文化を吸収し取り入れる

要は小野妹子(おののいもこ)という外交官が、
現在でいう日中交流の先駆けとなる事をしたということ。


INTERVIEW


出典:http://goo.gl/enMGJL

―長い船旅お疲れ様でした

小野妹子(以下小野)
「無事帰って来れて良かったです。結局隋には2回行ったんですけど、運が良い事に遭難せずスムーズに帰国できました。船がまあボロくて(笑)クルーみんなで『これ死ねっていう事(笑)?』って言ってました」

―随の皇帝煬帝(ようだい)*はどんな方なんですか?

小野
「紳士的で真面目な方でしたよ。冗談も言います。でもね厩戸皇子(うまやどのおうじ)*から預かってた国書を読んだ時にブチ切れたんです。顔真っ赤にして『何考えてるんだね君は!』って。『ドッキリであってくれ』て願いましたよ(笑)」

―何が原因だったんですか?

小野
「日が上がる国(倭国)と日が沈む国(随)のように、随が下に見られたことに対して腹立つってことをおっしゃってました。確かにそら怒るわと思いましたよ。僕がちゃんと内容確認しとけばなって言っても後の祭りですよね。『厩戸皇子、勘弁してよ』って心の中でぼやいてました(笑)」

出典:http://abc0120.net/wiki/doc-view-5744.html

―大変でしたね(笑)

小野
「あと、倭国が隋より下に見てたみたいで。『君らの国から対等な目線で話しかけられるとは思わなかったわ』って、はっきりと言われましたよ。煬帝てデリカシーないなあってちょっと引きましたもん」

―和解はできたんですね

小野
「謝りたおして許してもらいましたよ。あと宅飲みして家泊まったりして仲良くなって。帰る時に側近の人から『殺されてもおかしくなかったですよ』って言われて。命拾いしたーって。本当に危ないとこでした」

―しっかり役目を果たしたんですね

小野
「隋の使者の裴世清(はいせいせい)*さんも一緒に連れて帰りたいという、僕らの要望も聞いてくれたんですよ。これで帰ったら出世間違いなしだし良かった!と思いきやですよ・・・」

―何かあったんですか?

小野
「帰り途中、煬帝が倭国宛に書いた手紙を失くしてしまったんです。クリアファイルに挟んでたんですよ。でも領収書と一緒にしてたらややこしいからって別にしてて・・・。もう帰りの船はお通夜状態。毎晩泣いてました」

―それで流刑となったんですね

小野
「そうです。厩戸皇子は気にしなくていいよとは言ってくれたんです。ただ幹部の人らがさすがにお咎めなしはできないってなって。しばらく島流しするねって言われてまあ淡路島だったので近いし、知り合いもいるし助かりました(笑)

出典:http://goo.gl/a5drfF

―今さらですが珍しい名前ですよね

小野
「今さらですね(笑)まずは男だったんですねってよく言われます。あと芸名ですよねっていうのもあります。病院の待合室で自分の名前呼ばれた時『男かい!』って言う周りの視線は感じてます。ちっちゃい頃は周りからオカマオカマってよくいじられました」

―名前の由来はなんですか?

小野
「『親が妹もしくは姉との間にできた子供なの?』って言われた事があります。確かに今の時代、兄弟姉妹の結婚もありますからね。“妹”は、単に恋人の対象になるような若い女という意味でも使われてますよね。“妹”は言わば“女”、なので女の子のように可愛かったから「妹子」と名付けられました(笑)」

―話を戻しますが、流刑が終わった後すぐに2回目の遣隋使として派遣されたんですね

小野
「そうですね。流刑は恩赦*になったんです。位も大徳に昇進しました。裴世清さんを送るのと、留学生も連れて隋に行きました」

―そういえば2回目もボロい船だったんですか?

小野
「その通りです。『出世したのにおかしくないですか?』って上にも言いましたよ。でも今回までは我慢してくれって。『次からはビジネスクラスにするから』って言われても、もう行きませんよ。今回は途中で通訳の鞍作福利(くらつくりのふくり)*さんが亡くなられたんで、朝廷も真剣に考えてくれると思います」

―もう行かれないんですか?

小野
「行かないでしょうね。後輩の犬上御田鋤(いぬがみのみたすき)*とか、順調に育ってるんで。これから遣隋使の新人教育担当として、倭国を一緒に盛り上げていきますよ。でもね『1ヶ月も航海するのは寂しくてホームシックなりますよ』って言う子もいるんです。『最近の若いヤツは全く、行く前から何言ってんだよ!』って話ですよね(笑)



推古天皇*
第33代天皇。日本初の女帝であると同時に、東アジア初の女性君主である。

随の皇帝煬帝(ようだい)*
隋朝の第2代皇帝(在位:604年8月21日 – 618年4月11日)。中国史を代表する暴君といわれる。

厩戸皇子(うまやどのおうじ)*
後世の呼称は聖徳太子。推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめた。

裴世清(はいせいせい)*
隋の煬帝の使者。当時、隋から日本に使者がくる事は希であり、このような情況に導いた小野妹子の外交官としての手腕は非常に高い。

恩赦*
行政権により国家の刑罰権の全部又は一部を消滅もしくは軽減させる制度のことをいう。

鞍作福利(くらつくりのふくり)*
飛鳥時代の通事(=通訳)

犬上御田鋤(いぬがみのみたすき)*
最後の遣隋使および最初の遣唐使を務めた。

スポンサードリンク

 - インタビュー日本史